プリンス.com
非公式のファンのサイトです。日産自動車とは無関係です。ここでいう「プリンス」は、かつてスカイライン・グロリアを作ったプリンス自動車工業(1966年に日産自動車と合併)のことで、ホテルなど同じ名前のほかの会社や商品とは関係がありません。
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日本グランプリとプリンス

スカイラインGTも、R380も、このレースのために生まれた

要点日本グランプリは1963年から1969年まで、1965年を除く6回開かれました。プリンスは1964年にスカイラインGTとグロリア スーパー6で、1966年にはR380で関わりました。
プリンス R380(1966年・展示車)
プリンス R380(1966年・展示車)。写真:MIKI Yoshihito from Sapporo City,Hokkaido., JAPAN/CC BY 2.0/Wikimedia Commons(改変:縮小・webp化)

大会の概要

日産のショートストーリーによると、第1回は1963年5月3日、できたばかりの鈴鹿サーキットで開かれました。開催は毎年5月3日が基本(日付は1963年と同じ)で、1965年だけは開かれませんでした。1968年から公式名称が変わり、1969年にはJAFグランプリ(1969年5月3日)と日本グランプリ(1969年10月10日)に分かれています。1970年に日産とトヨタが、安全と公害対策に力を向けるため出場をとりやめると発表し、1970年の大会は中止になりました[1]。

プリンスにとっての3回

大会プリンスの車できごと出典
第1回(1963年5月3日)(確かめていない)鈴鹿サーキットで開催。これをきっかけにスポーツカーへの関心が高まったと日産の年表にある[1][2]
第2回(1964年5月3日)スカイラインGT(GT-IIレース)/グロリア スーパー6(T-VIレース)GT-IIレースはポルシェ904が優勝、スカイラインGTが2位から6位。T-VIレースは、グロリア スーパー6の39号車(大石選手)が優勝、38号車(杉田選手)が2位[3][4]
第3回(1966年)R380富士スピードウェイで開催。11号車(砂子義一)が最初のレースで優勝。合併前にプリンスが勝った最後のレース[5]

スカイラインGTができるまで(1964年)

スカイラインGTは、1964年5月3日の第2回大会の「GT-IIレース」に勝つための特別な車でした。ヘリテージコレクションの解説によると、スカイライン1500(S50型)のホイールベースを200mm延ばし、グロリア用の6気筒G7型エンジンを載せる方法で100台を作り、レース直前の1964年5月1日に発売して出場資格を得ています。実戦用の車には、ウェーバー製の3連キャブ、5速クロスミッション、ノンスリップデフなどのスポーツオプションが付いていました[3]。

この発想の出どころを、日産のレジェンドの記事は櫻井眞一郎の話として伝えます。1.5リッターのS50では、鈴鹿サーキットのスプーンの立ち上がりでライバルに離されると見て、シャシーを200mm延ばしてグロリアの6気筒を詰め込みました。上司は、出場資格に足りる台数を作ればよいと言いましたが、櫻井は、いずれこういう車が売れる時が来ると答えたとあります[6]。

レースの結果は、解説では、急遽出場を決めたポルシェ904が勝ち、スカイラインGTが2位から6位を占めた、というものでした[3]。スカイラインの歴代を紹介する日産のページは、ポルシェ904GTSを7周目のヘアピンで抜き去り、「羊の皮を着た狼」という称号が与えられたと書きます[7]。順位は負けでも、抜いた場面が称号につながった、という書き方です。

レースのあとの1965年2月、出場車と同じウェーバー3連キャブで125馬力の「2000GT(S54B-2型)」が、カタログモデルとして正式に発売されました[3]。日産の年表も、1965年2月の項目に「プリンススカイラインGT」を載せています[2]。

1966年から1969年の結果を並べる

大会車結果出典
1966年 第3回プリンス R380(11号車)総合優勝:砂子義一[8][5]
1967年 第4回ニッサン R380-II(10号車)2位:高橋国光(優勝車は確かめていない)[8]
1968年ニッサン R381(20号車)総合優勝:北野元[8][1]
1969年10月ニッサン R382優勝:黒澤元治[1][2]

1967年は、日産の「日本グランプリで優勝した」という記録がショートストーリーにも年表にもありません。ギャラリーの一覧に2位の車が載るだけなので、このサイトは優勝者を書かず、R380-IIが2位だったことだけを載せます。

資料どうしで書き方が違う点

よくある質問

日本グランプリは全部で何回開かれましたか。
ショートストーリーは、1963年から1969年の7年間に6回と書きます。1965年は開かれず、1970年は日産とトヨタが出場しないと発表して中止になりました[1]。
いまのF1の日本グランプリと同じ大会ですか。
同じ大会ではありません。ショートストーリーは、今日「日本グランプリ」といえばF1の大会を指すが、1963年から1969年にはこの別のレースが国内で最大かつ最も人気のあるレースだった、と書きます[1]。
プリンスが優勝した大会はどれですか。
確かめた資料で優勝と書かれているのは、1964年のT-VIレースのグロリア スーパー6(クラスの優勝)と、1966年のR380(総合優勝)です。1964年のGT-IIレースは、スカイラインGTが2位から6位でした[4][3][5]。

日産になってからの優勝

ショートストーリーによれば、日産は1966年(R380)、1968年(R381、北野元選手)、1969年(R382、黒澤元治選手)で優勝しました[1]。日産の年表も、1968年5月にR381、1969年10月にR382が日本グランプリで優勝したと書きます[2]。1968年のR381には、櫻井眞一郎が考案した可変式のリアウイングが付いていた、と日産のレジェンドの記事にあります[6]。

1964年の2つの勝利と負け

1964年のレースには、結果が2つの形で残っています。一つは、GT-IIレースで優勝を逃し、ポルシェ904に負けたこと。もう一つは、T-VIレースでグロリア スーパー6が優勝したことです。プリンスが本当に勝ちたかったのは、トップのレースでした。この悔しさが、1966年のR380の開発の目的になったと、R380の解説は述べます[5]。

用語メモ

「GT-II」「T-VI」はレースのクラス名です。ここで確かめた資料は、クラスの定義(排気量の範囲など)を説明していません。クラスの意味は書かず、名前だけを載せています。

この面で確かめていないこと第1回大会(1963年)にプリンスの車が何台出たか、優勝者の名前、1967年の優勝車は、確かめた資料に書かれておらず確かめていません。ショートストーリーにはプリンスの名前が出ていません。

出典

  1. 日産ヘリテージコレクション ショートストーリー 日本グランプリの歴史(英語版)(2026年11月7日に確認)
  2. 日産 企業情報 ヘリテージ 1960年代(2026年11月7日に確認)
  3. 日産ヘリテージコレクション プリンス スカイラインGT(S54)(2026年11月7日に確認)
  4. 日産ヘリテージコレクション プリンス グロリア スーパー6(1964年・S41D)(2026年11月7日に確認)
  5. 日産ヘリテージコレクション プリンス R380(A-I型)(英語版)(2026年11月7日に確認)
  6. 日産 ヘリテージ レジェンド04 桜井眞一郎(2026年11月7日に確認)
  7. 日産 NISSAN HERITAGE COLLECTION online スカイライン歴代12代の軌跡(2026年11月7日に確認)
  8. 日産 ヘリテージ ギャラリー一覧(2026年11月7日に確認)
  9. 日産ヘリテージコレクション ショートストーリー R380の国際速度記録(英語版)(2026年11月7日に確認)
  10. 日産ヘリテージコレクション ニッサンR380(A-II型)(2026年11月7日に確認)