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ジョヴァンニ・ミケロッティとプリンス

国産で初めてイタリアのデザインを持った車は、約60台で終わった

要点日産の解説は、プリンス スカイラインスポーツのスタイリングを、イタリアの著名なデザイナーのジョバンニ・ミケロッティが手がけた、と書いています。1960年のトリノショーで発表され、日本では1962年4月に発売。「海外デザイナーによる日本初の市販車」と紹介され、生産台数は約60台でした[1][2]。

この面で扱うこと

車そのものの諸元と値段はスカイラインスポーツ(BLRA-3)の面にまとめています。この面は、デザイナーとプリンスの関わりに焦点を当て、日産の公式な解説が人物と車について何を書いていて、何を書いていないかを整理します。表記は、日産の日本語版の「ジョバンニ」を本文に使い、見出しだけ一般的な「ジョヴァンニ」にしています。

公式の解説が書いていること

日本語版(ヘリテージコレクション)は、次のように書きます。1960年のトリノショーで発表され、翌年に日本でのお披露目を経て、1962年4月に発売された。イタリアの著名デザイナーのジョバンニ・ミケロッティがスタイリングを手がけた。生産にあたっては、ボディはイタリアから職人を招いて技術伝承をしながら手作業で作るという、前例のない工程をとった。エンジンとシャシーはグロリア用を流用した。価格はクーペ185万円、コンバーチブル195万円で、今の貨幣価値で2,000万円以上にあたる高価な車のため、約60台にとどまった[1]。

英語版のうち1960年式の展示車のページは、ミケロッティを「イタリアの有名な自動車デザイナー」と紹介し、国産初の高級スポーツクーペ、国産初のイタリアンデザインの車と書きます。トリノに出された車は、イタリアのカロッツェリアで作られた本物のショーカーで、ミラーに1960年のローマ五輪へのオマージュとして五輪のマークが付き、量産型とはエンブレムが少し違う。会場には青いクーペと白いコンバーチブルが並んで観客を驚かせた、とあります[2]。1963年式のページは、トリノで発表した車を日本で1962年4月に発売し、イタリアから職人を招いて、その技術を受け継いだ手作りで作った、と書きます[3]。

年の整理

年できごと出典
1960年トリノのショー(日本語版では「トリノショー」)で発表[1][2]
1960年11月日産の年表に「プリンス・スカイラインスポーツ クーペ(BLRA-3型)」が載る[4]
1961年日本でのお披露目(日本語版が「翌年」と書く)[1]
1962年4月日本で発売[1][3]

「お披露目」を1961年とするのは日本語版だけで、英語版の2つのページには書かれていません。年表の1960年11月が何を指すのかも、年表には説明がありません。

グロリアのメカニズムにイタリアの服を着せた

日本語版は「エンジンとシャシーはグロリア用を流用」と書いています[1]。1959年2月に出たプリンスグロリア(BLSI型)の下に、ミケロッティのボディを載せた形です[5]。同じころ、1957年に発売された初代スカイラインは1,484ccの60馬力でした[6]。スカイラインスポーツのエンジンは、初代スカイラインではなく、1,862ccの上位のエンジンです[2]。車名には「スカイライン」が付いていますが、エンジンとシャシーはグロリア用、という点が、この車の複雑なところです。

項目初代スカイライン(1957年)スカイラインスポーツ(日本語版の諸元)
エンジンGA30型 1,484ccGB4型 1,862cc
最高出力44kW(60ps)/4,400rpm69kW(94ps)/4,800rpm
ホイールベース2,535mm2,535mm
全長4,280mm4,650mm
出典[6][1]

ホイールベースが同じ2,535mmなのは、確かめた2つのページの数字です。同じ寸法だから同じシャシーだとまでは、解説は書いていません。

日英のページで数字が合わない点

日本語版のスカイラインスポーツ(型式BLRA-3、年式1963年)の諸元は、全長4,650mm、エンジン1,862ccです[1]。ところが、英語版の1963年式(番号302)のページの諸元表は、全長3,915mm、ホイールベース2,280mm、エンジン1,189ccと別の数字になっています[3]。ページの本文はどちらも「グロリアと共通の機構」と書いており、英語版の諸元表の数字がどの車のものかは、公式ページからは判断できません。日本語版の「トレッド前1,338mm」は、1960年式の英語版の「1,388mm」と1桁違い、これも食い違いです[2]。どちらが正しいかは決められないので、両方を書いておきます。

デザイナーについて、書けること

確かめた日産の解説は、ミケロッティを「イタリアの著名な(有名な)デザイナー」と書くだけで、生まれや生涯、ほかの国の車のデザインには触れていません。そのため、この面では、ミケロッティのほかの仕事や、プリンスとの契約のいきさつ、デザイン料などは書きません。「ミケロッティが日本のほかのメーカーの車も手がけた」という話は、日産以外の事柄であり、確かめた資料の範囲外です。

よくある質問

スカイラインスポーツはなぜ約60台しか作られなかったのですか。
日産の解説は、価格がクーペ185万円・コンバーチブル195万円と、今の貨幣価値で2,000万円以上に相当する高価な車だったため、約60台にとどまった、と書いています[1]。
ミケロッティが自分でボディを作ったのですか。
日産の解説は、スタイリングを手がけたと書き、ボディの製作は「イタリアから職人を招き、技術伝承をしながら手作業で」と書いています。どこで何台作ったかは書かれていません[1]。
実車はどこで見られますか。
日産ヘリテージコレクションに保存車があります(見学の面)。その時点で展示されているかは、公式の案内で確かめてください。
この面で確かめていないことミケロッティの経歴、プリンスと契約した経緯、ボディを作ったカロッツェリアの名前、日本に職人が来た人数と期間、約60台の内訳(クーペとコンバーチブルの台数)は、確かめた公式の資料に書かれていません。日英のページで合わない諸元は、上のとおりそのまま並べました。

出典

  1. 日産ヘリテージコレクション プリンス・スカイラインスポーツ・クーペ(日本語版)(2026年11月7日に確認)
  2. 日産ヘリテージコレクション プリンス スカイラインスポーツ(BLRA-3)(2026年11月7日に確認)
  3. 日産ヘリテージコレクション プリンス スカイラインスポーツ クーペ(1963年・No.302)(2026年11月7日に確認)
  4. 日産 企業情報 ヘリテージ 1960年代(2026年11月7日に確認)
  5. 日産 企業情報 ヘリテージ 1950年代(2026年11月7日に確認)
  6. 日産ヘリテージコレクション プリンス スカイライン デラックス(日本語版)(2026年11月7日に確認)
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