プリンス.com
非公式のファンのサイトです。日産自動車とは無関係です。ここでいう「プリンス」は、かつてスカイライン・グロリアを作ったプリンス自動車工業(1966年に日産自動車と合併)のことで、ホテルなど同じ名前のほかの会社や商品とは関係がありません。
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村山工場の歴史

武蔵村山市に建てられた、当時の日本最大規模の自動車工場

要点1959年に新工場の建設が計画され、1962年にテストコース付きの村山工場が新設されました。1966年の日産との合併で「日産自動車プリンス事業部村山工場」となり、2001年に生産を終えるまでに約1,000万台が作られました(武蔵村山市の歴史散策の資料)。
プリンスの丘公園の碑(撮影者の説明では「スカイラインGT-R発祥の地」の碑)
プリンスの丘公園の碑(撮影者の説明では「スカイラインGT-R発祥の地」の碑)。写真:photo: Qurren (talk) Taken with Canon PowerShot G9 X/CC BY-SA 3.0/Wikimedia Commons(改変:縮小・webp化)

流れ

市の「歴史散策コース(南西コース)」の記述にもとづきます[1]。「1959年〜1960年ごろ」は、誘致運動が「約1年」という記述から読み取った目安で、年の数字は市の資料には明記されていません。

数字を並べて読む

年できごと次の節目までの年数
1947年東京電気自動車(プリンス自動車工業)の設立12年後に新工場の計画
1959年新工場の建設を計画3年後に新設
1962年テストコース付きの村山工場が新設される4年後に合併
1966年日産自動車と合併し、日産自動車プリンス事業部村山工場に35年後に生産終了
2001年生産を終える(約40年間で約1,000万台)

市の資料は、2001年の生産終了までの40年間で約1,000万台と書きます。1962年から2001年までは39年ですが、資料の「40年間」をそのまま使っています。台数を40年で割ると1年あたり約25万台になりますが、これは単純な平均で、年ごとの生産台数は確かめていません。また、プリンス自動車工業の時代の工場は1962年から1966年の4年だけで、残りの約35年は日産の工場でした。

日産の年表では

日産の1960年代の年表も、1966年8月の合併で村山工場が日産に帰属したと書いています[2]。市の資料と日産の資料で、1966年という年が一致しています。

町にとっての工場

市の資料は、村山町が約1年かけて工場の誘致運動を行ったこと、工場の建設のために川の流れが変わったことを書きます。自動車工場が、町の地図まで変えた大きな出来事だったことが分かります。川の流れが変わったという記述は、1961年の「残堀川」の項目にあります。

市の歴史散策コースの中の工場跡地

市の「むさしむらやま歴史散策コース」は、武蔵野台地の狭山丘陵の南麓にある市の文化財を知ってもらうために設定されたコースです。もとの設定から約40年が経ち、全7コースに再編されました。そのうち南西コースは8ポイントで、延長約3.4キロメートル、徒歩で約50分、工場跡地は最後の8番目のポイントです[1]。

ほかのポイントを見ると、工場が建った場所の歴史の長さが分かります。1871年に建てられた馬頭観音、1932年ごろまで山口貯水池の工事に使われた軽便鉄道の跡、残堀砕石場の跡、江戸前期に流路が人工的につながれた残堀川、江戸街道など、江戸時代から昭和の初めまでの話が並び、その最後に、1947年からの自動車工場の話が置かれています。

川の流れの2つの記述

市の同じ資料には、残堀川について2つの記述があります。残堀川の項は、1961年にプリンス自動車工業(日産自動車)村山工場の建設によって流路が変わり、いまは玉川上水から切り離されて多摩川にそそいでいる、と書きます。三本榎の項は、残堀川の旧河道が1959年に始まった改修工事の際に埋め立てられ、いまは一部の道路筋に名残りが見られる、と書きます[1]。この2つの工事がどう関わるかは、資料に書かれていないので確かめていません。

報道が伝える、いまの工場跡

2026年6月18日の報道は、この一帯を、1962年にプリンス自動車の工場として操業を始め、日産との合併後も2001年まで稼働した場所と説明します。工場跡地の一部はイオンモールが所有し、日産東京販売などの協力で、2022年から旧車の展示イベントが開かれている、とあります[3]。展示された車の例として、報道は、1971年のグロリア2ドアハードトップ2000GXと、1969年の3代目スカイライン2000GT(ハコスカ)を挙げています。後者は合併後に初めて新規発売されたモデルで、プリンス製のG7型エンジンに代わり、日産製のL20型を載せた、と記事にあります。

いま、どう残っているか

跡地には、武蔵村山市のプリンスの丘公園があり、日産自動車村山工場跡地の碑が建っています[4]。市の紹介ページは、「スカイラインGT-R発祥の地」の碑にも触れています[5]。現地の案内はプリンスの丘公園で、旧車の展示イベントは自動車ショウで説明しています。

「GT-R発祥の地」の意味

市の紹介にある「スカイラインGT-R発祥の地」について、日産の年表は、1969年2月にスカイライン2000GT-R(C10型)が発売されたことを書きます[2]。ただし、GT-Rの開発が村山工場のどの部署で行われたかは、確かめた資料に書かれていないので、ここでは書きません。

この面で確かめていないこと工場の敷地面積、従業員数、生産した車種の一覧は確かめていません。「約1,000万台」は、プリンス時代の台数ではなく、日産になってからを含む全期間の数字です。

出典

  1. 武蔵村山市 歴史散策コース(南西コース)(2026年11月7日に確認)
  2. 日産 企業情報 ヘリテージ 1960年代(2026年11月7日に確認)
  3. レスポンス 第5回プリンスの丘 自動車ショウの報道(2026年6月18日)(2026年11月7日に確認)
  4. 武蔵村山市 プリンスの丘公園(2026年11月7日に確認)
  5. 武蔵村山市 眺望が楽しめる公園(2026年11月7日に確認)