プリンス自動車の用語集
このサイトの面に出てくる言葉を、五十音順でなく「出てくる順」に
名前と歴史の言葉
立太子礼(りったいしれい)
皇位を継ぐ皇子が、皇太子になったことを内外に示す儀式です。プリンス自動車の車名と会社名は、1950年代の皇太子明仁親王(当時)の立太子礼を記念して付けられたと、日産ヘリテージコレクションの解説にあります[1]。
御料車(ごりょうしゃ)
天皇が公式の場で使う車です。日産のギャラリー一覧には、1967年の写真として「御料車ニッサン・プリンス・ロイヤル(A70型)」が載っています[2]。
合併
2つの会社が一つになること。プリンス自動車工業と日産自動車は、1966年8月に合併しました[3]。
車の仕組みの言葉
OHV・OHC・DOHC
エンジンの吸気と排気のバルブを動かす仕組みの種類です。OHVはバルブをロッドで動かす方式、OHCはカムシャフトをエンジンの上に置く方式、DOHCはカムシャフトが2本ある方式です。プリンスの4気筒はOHV、グロリアなどの6気筒はOHC、R380はDOHCです(エンジンの記号)。
4バルブ
1つの気筒に、バルブが4つ付いている形です。R380のエンジン(GR8)は「4バルブDOHC」と解説にあります[4]。
ド・ディオン式
左右の後輪を、車軸ではなく別の仕組みで支えながら、駆動の部分を車体側に固定する後輪の構造です。一般には、乗り心地とタイヤの接地の両立を狙った構造と説明されます。初代スカイラインやグロリアの解説に、「ド・ディオン式」の言葉が出てきます[5]。
ダブルウィッシュボーン
前輪などを支える、上下2本のアームの形式です。ほぼすべてのプリンス系の保存車の解説に出てきます[6]。
ミッドシップ
エンジンを車体の中央に置く配置です。R380はエンジンを車体の中央に積みました[4]。
単位とクラスの言葉
PS・kW・kgm・N・m
PSは馬力、kWはその国際単位で、おおよそ1PSが0.735kWです。kgmとN・mはトルクの単位で、どちらも同じ力を別の単位で書いたものです。ヘリテージコレクションの解説は、両方を併記しています。
GT
グランツーリスモの略として使われ、長い距離を速く快適に走る車に使う言葉です。スカイラインGTやスカイライン2000GTは、この名前を使っています[7]。
プロトタイプ
市販を前提としない、レース専用の試作車のことです。R380は戦後の日本でプリンスが開発した最初のプロトタイプレーシングカーと、解説にあります[4]。
カロッツェリア
イタリアで、車体を専門に作る工房や会社のことです。スカイラインスポーツのショーカーは、イタリアのカロッツェリアで作られたと解説にあります[6]。
GT-II、T-VI
1964年の日本グランプリのレースの名前です。クラスの定義は、確かめた資料に書かれていません。
レースと記録の言葉
総合優勝とクラス優勝
ギャラリーの一覧は、1966年のR380を「総合優勝」、1964年のブルーバード1300SSを「クラス優勝車両」と書き分けています[2]。グロリア スーパー6が勝った1964年のT-VIレースも、クラスごとのレースでの優勝です[8]。
ホモロゲーション
日産のレジェンドの記事には、スカイラインGTを作るとき、上司が「ホモロゲーションが取れるだけの台数を作ればよい」と言った話が出てきます[9]。ヘリテージコレクションの解説では、同じ出来事が、100台を作ってレース直前に発売し、出場資格を得た、と書かれています[7]。この面の資料では、レースに出る資格を得るために、決まった台数を作って売ることを指す言葉として使われています。
FIA公認と国内記録
R380は、1965年10月に茨城県の谷田部のコースで速度記録を出しましたが、そのコースがFIAの公認を受けていなかったため、国内記録の扱いになりました。1967年10月には公認後のコースで走り、7種目の国際記録を樹立しています[10][11]。公認の有無が、記録の扱いを分けた例です(R380の速度記録)。
JAFグランプリ
1969年に日本グランプリが2つに分かれたとき、1969年5月3日の大会がJAFグランプリ、1969年10月10日の大会が日本グランプリと呼ばれました[12]。ギャラリーの一覧にも「1969年 JAFグランプリ」の項目があります[2]。
空車と出走状態
R380A-IIの解説は、車両重量を「空車590kg」「718kg(出走状態)」と2つ並べています[10]。同じ車でも、どの状態で計るかで重さが変わることを示す例です。
諸元表の言葉
型式
日産ヘリテージコレクションの一覧では、車ごとに「Type」の欄があり、プリンスセダンはAISH-2、スカイライン デラックスはALSID-1、スカイラインGTはS54、R380はR380と記されています[13]。1960年の車と1963年のスカイラインスポーツには、どちらもBLRA-3の型式が付いています[13]。記号の読み方は、資料に書かれていません。同じスカイラインGTでも、一覧ではS54、車の解説ではS54A-1、市販の2000GTはS54B-2と、書かれた記号が違います[7]。
ホイールベースとトレッド
どちらも諸元表の項目名です。スカイラインGTの解説は、スカイライン1500のホイールベースを200mm延ばしたと書き、GTのホイールベースは2,590mmなので、延ばす前は2,390mmだったことが分かります(これはこのサイトの計算です)[7]。トレッドは前と後ろを「前/後」で並べて書くのが、ヘリテージコレクションの書き方です。
クーペとコンバーチブル
スカイラインスポーツのイタリアのショーでは、青いクーペと白いコンバーチブルが並んで展示され、観客を驚かせたと解説にあります[6]。1963年のNo.302の解説は、当時の価格をクーペ185万円、コンバーチブル195万円とし、生産は約60台だったと書いています[14]。
ショーカー
展示のために作られた車のことで、スカイラインスポーツの解説では、トリノのショーに出た車が本物のショーカーで、量産型とバックミラーやエンブレムが少し違う、と書かれています[6]。
呼び名の言葉
羊の皮を着た狼
1964年の第2回日本グランプリのスカイラインGTに与えられた称号です[15]。日産のレジェンドの記事は、後に発表された2000GTがこう言われたと書き、表記は「羊の皮を被った狼」と、「着た」が「被った」になっています[9]。同じ言葉でも、資料によって漢字が違います。
ハコスカ・ケンメリ
スカイラインの歴代につく愛称です。3代目はボクシーなスタイリングに合わせて「ハコスカ」の愛称が生まれ、4代目は「ケンメリ」と呼ばれ、広告の「ケンとメリー」が異例のヒットになった、と日産の資料にあります[15][9]。3代目は、プリンスと日産が合併してから初めて出たスカイラインです[9]。
ノックダウン生産
日産の年表は、1950年代前半に欧米メーカーの車をノックダウン生産することで、最先端の自動車技術を学ぶ流れがあったと書きます[16]。ギャラリーには、1952年の「オースチンのエンジニアたちとKDボックス」の写真があります[2]。年表は、言葉の定義までは書いていません。
この面の注意
一般的な説明は、車の事典などで広く使われる意味で書いており、プリンスの個別の車の事実ではありません。個別の車でどのような構造だったかは、各面の出典でご確認ください。
よくある質問
「ウェーバー3連キャブ」や「ノンスリップデフ」は、何のことですか。
出典
- 日産ヘリテージコレクション プリンスセダン(AISH-2)(2026年11月7日に確認)
- 日産 ヘリテージ ギャラリー一覧(2026年11月7日に確認)
- 日産 企業情報 ヘリテージ 1960年代(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージコレクション プリンス R380(A-I型)(英語版)(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージコレクション プリンス スカイライン デラックス(ALSID-1)(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージコレクション プリンス スカイラインスポーツ(BLRA-3)(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージコレクション プリンス スカイラインGT(S54)(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージコレクション プリンス グロリア スーパー6(1964年・S41D)(2026年11月7日に確認)
- 日産 ヘリテージ レジェンド04 桜井眞一郎(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージコレクション ニッサンR380(A-II型)(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージコレクション ショートストーリー R380の国際速度記録(英語版)(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージコレクション ショートストーリー 日本グランプリの歴史(英語版)(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージコレクション プリンス系の車の一覧(英語版)(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージコレクション プリンス スカイラインスポーツ クーペ(1963年・No.302)(2026年11月7日に確認)
- 日産 NISSAN HERITAGE COLLECTION online スカイライン歴代12代の軌跡(2026年11月7日に確認)
- 日産 企業情報 ヘリテージ 1950年代(2026年11月7日に確認)