プリンス.com
非公式のファンのサイトです。日産自動車とは無関係です。ここでいう「プリンス」は、かつてスカイライン・グロリアを作ったプリンス自動車工業(1966年に日産自動車と合併)のことで、ホテルなど同じ名前のほかの会社や商品とは関係がありません。
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1966年の日産との合併

スカイラインとグロリアが日産に合流するまで

分かっていること日産の年表は、1966年8月に「プリンス自動車工業と合併、これに伴い村山工場が当社に帰属」したと書いています。スカイライン・グロリアなどの商品が日産に合流した、とも説明しています。

公式年表の記述

日産の1960年代の年表には、1966年の項目が3つ並びます。1966年5月に第3回日本グランプリでニッサンR380-Iが優勝、1966年8月にプリンス自動車工業と合併して村山工場が日産に帰属、そして本文で「技術開発に優れたプリンス自動車工業が日産自動車と合併し、スカイラインやグロリアなどの商品ラインアップが日産に合流した」という説明です[1]。

村山工場のその後

武蔵村山市の資料によれば、村山工場は合併で「日産自動車プリンス事業部村山工場」となり、2001年の生産終了までに約1,000万台が作られました[2]。合併は会社の終わりであると同時に、工場が日産の主力工場として働き続けるはじまりでもありました。

車に残った痕跡

ヘリテージコレクションは、合併の前後をまたぐ車を保存しています。

車合併との関わり出典
グロリア スーパー6(1967年・S41D)日産とプリンスの合併の後に作られた最後のモデルで、PRINCEとNISSANの両方のエンブレムがついている[3]
R3801966年の第3回日本グランプリで優勝。日産との合併の前にプリンスが勝った最後のレースと解説にある[4]
R380-II(A-II型)合併後に「ニッサンR380」の名で、1967年10月8日に谷田部で7種目の世界記録[5]

合併の前年に、すでに「日産・プリンス」の名があった車

日産のギャラリー一覧には、1967年の写真として「御料車ニッサン・プリンス・ロイヤル(A70型)」が載っています[6]。御料車は、天皇の乗る車です。この車の詳しい経緯(開発の時期や台数)は、日産の公式ページでは確かめられなかったので、ここでは書きません。

合併の前後、年表に並ぶプリンスの名

日産の1960年代の年表を、合併の前後で並べて読むと、「プリンス」の名前が合併の後もしばらく残ったことが分かります。

時期年表の項目名前の付き方
1965年2月プリンススカイラインGT合併の前。プリンスの名
1965年8月プリンスホーミー B640型合併の前。プリンスの名
1966年5月第3回日本グランプリでニッサンR380-Iが優勝年表の書き方は「ニッサン」
1966年8月プリンス自動車工業と合併、これに伴い村山工場が当社に帰属合併
1967年4月グロリア A30型「プリンス」が付かない書き方
1967年8月プリンスマイラー T446型合併の後でも、プリンスの名
1968年7月スカイライン C10型「プリンス」が付かない書き方
1969年2月スカイライン2000GT-R C10型 発売(世界初:量産車としての4バルブDOHC機構を採用)「プリンス」が付かない書き方

出典は日産の1960年代の年表です[1]。1966年8月の後は、グロリアとスカイラインの項目から「プリンス」の語が消える一方で、1967年8月にはプリンスマイラー(T446型)が載ります。なぜ車によって呼び方が分かれたのか、年表には説明がありません。このサイトでは、名前の付き方を事実として並べるだけにします。

合併の背景として書かれていること

日産の年表の冒頭の説明は、1966年の合併を「旧通産省による業界再編の動きの一環」と書いています。そのうえで、技術開発に秀でたプリンス自動車工業と合併したことで、スカイラインやグロリアなどの商品が日産に合流しただけでなく、商品企画力と開発力にも磨きがかかった、と述べています。1960年代から日産が「技術の日産」として親しまれるようになった、という説明もあります[1]。

この説明は日産の側から書かれたものです。プリンスの側から見た経緯や、合併の話し合いの中身は、確かめた公式の資料には書かれていません。

合併後、最初のスカイライン

日産のヘリテージ レジェンド04(櫻井眞一郎)は、3代目スカイライン(通称「ハコスカ」、1968年〜1972年)を、櫻井が開発責任者として初めて携わったスカイラインであり、プリンス自動車工業が日産と合併して初めて登場したスカイラインでもある、と説明しています[7]。年表では、1968年7月のスカイライン C10型がこれにあたります[1]。人物は櫻井眞一郎の面で見られます。

よくある質問

合併は何年何月ですか。
日産の年表は、1966年8月と書いています[1]。日付までは書かれていないため、このサイトも日付は書きません。
合併のあと、村山工場はどうなりましたか。
市の資料によると、日産自動車プリンス事業部村山工場となり、2001年に生産を終えるまでに約1,000万台が作られました[2]。工場の跡や、いま見られるものは村山工場の面で説明しています。
スカイラインは、合併のあとも続きましたか。
続きました。1968年7月にスカイライン C10型、1969年2月にスカイライン2000GT-R C10型が年表に載ります[1]。

合併をどう受け取るか

「吸収」「合併」のどちらの言葉を使うかは、資料によって違います。日産の年表は「合併」と書いているので、このサイトも「合併」と書きます。合併後も、スカイラインは日産の車として続きました。1968年7月に3代目(C10型)が出て、1969年2月にはスカイライン2000GT-R(C10型)が「量産車としての4バルブDOHC機構を採用」して世界初と、年表は書きます[1]。

この面で確かめていないこと合併の契約の日付・合併比率・両社の従業員の数など、数字の細かい部分は確かめていません。御料車の詳細も確かめていません。2026年に行われた「合併60周年」のイベントについてはプリンスの丘 自動車ショウで、報道を出典として扱っています。

出典

  1. 日産 企業情報 ヘリテージ 1960年代(2026年11月7日に確認)
  2. 武蔵村山市 歴史散策コース(南西コース)(2026年11月7日に確認)
  3. 日産ヘリテージコレクション プリンス グロリア スーパー6(1967年・S41D)(2026年11月7日に確認)
  4. 日産ヘリテージコレクション プリンス R380(A-I型)(英語版)(2026年11月7日に確認)
  5. 日産ヘリテージコレクション ニッサンR380(A-II型)(2026年11月7日に確認)
  6. 日産 ヘリテージ ギャラリー一覧(2026年11月7日に確認)
  7. 日産 ヘリテージ レジェンド04 桜井眞一郎(2026年11月7日に確認)