プリンス.com
非公式のファンのサイトです。日産自動車とは無関係です。ここでいう「プリンス」は、かつてスカイライン・グロリアを作ったプリンス自動車工業(1966年に日産自動車と合併)のことで、ホテルなど同じ名前のほかの会社や商品とは関係がありません。
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プリンス スカイラインGT(S54A-1・1964年)

レースのために100台だけ作られた、伝説の特別なスカイライン

要点1964年5月3日の第2回日本グランプリ「GT-IIレース」に勝つため、プリンス自動車工業が作ったスペシャルマシン。スカイライン1500(S50型)のホイールベースを200mm延ばし、グロリア用の6気筒G7型エンジンを載せました。100台を作り、レース直前の1964年5月1日に発売して出場資格を得ました。
2代目プリンス スカイライン 2000GT-B(S54型)
2代目プリンス スカイライン 2000GT-B(S54型)。写真:Mytho88/CC BY-SA 3.0/Wikimedia Commons(改変:縮小・webp化)

諸元(ヘリテージコレクションの展示車)

型式
S54A-1
寸法
4,255 × 1,495 × 1,410 mm
ホイールベース
2,590 mm
トレッド(前/後)
1,265 / 1,255 mm
車両重量
980〜1,008 kg
エンジン
GR7B(直列6気筒・OHC)。G7型をレース用に改修、1,988cc
最高出力
110kW(150PS)/6,800rpm
最大トルク
176N・m(18.0kgf・m)/4,800rpm
サスペンション
前:ダブルウィッシュボーン/後:縦置リーフ
ブレーキ
前後ドラム(アルミフィン付)
タイヤ
4.50L-13(R6)

数字は、日産ヘリテージコレクションの該当ページを確かめたものです[1]。

つくられた理由と経緯

1963年に鈴鹿サーキットで開かれた第1回日本グランプリは、日産の年表によれば、スポーツカーへの関心を高めるきっかけになりました[2]。翌年の第2回に向けて、プリンスは市販のスカイライン1500にグロリアのエンジンを移植する方法を選び、この車を作ります[1]。ホイールベースを200mm延ばすのは、長い6気筒エンジンを収めるためと読めますが、ページはその理由までは書いていません。出場車には、ウェーバー3連キャブレター、5速クロスミッション、ノンスリップデフなどが付いていたと、解説にあります。

1964年5月3日のレース

解説は、このレースでポルシェ904が優勝し、スカイラインGTが2位から6位までを占めて、高い性能を印象づけたと述べます[1]。展示車は、2位に入った砂子義一選手の39号車と同じ仕様です。日産のスカイライン歴代ページは、この出来事から「羊の皮を着た狼」の称号が生まれたと説明します[3]。

レストアされた展示車

展示されている個体は、2012年の鈴鹿サーキット50周年に合わせて、「日産名車再生クラブ」がフルレストアしたものだと、解説にあります[1]。

市販の2000GTへ

レースの後、125馬力の「2000GT(S54B-2型)」が1965年2月にカタログモデルとして発売されました。この市販車はスカイライン2000GTの面で説明します。レース用の150PSと、市販の125馬力は別の数字です。

グロリアとの関わり

搭載したG7型エンジンの出自は、グロリア スーパー6の面にあります。ヘリテージコレクションのグロリアの解説は、G7が1964年にスカイラインGT(S54)にも使われた、と書いています[4]。

桜井眞一郎が語られる設計の判断

日産のヘリテージ「レジェンド04」には、このGTが生まれた場面が、桜井眞一郎の逸話として載っています。桜井は、第2回日本GPにグロリアとスカイラインの両方を出して、両車での表彰台をねらっていました。ただ、1.5リッターのスカイライン(S50)では、鈴鹿サーキットのスプーンカーブの立ち上がりでライバルに離されると予想しました。そこでS50のシャシーを200mm延ばし、グロリア用の6気筒エンジンをどうにか詰め込んだ、とあります[5]。上司からは「ホモロゲーション(出場資格)が取れるだけの台数を作ればよい」と言われましたが、桜井は「いいえ、必ずやこういうクルマが売れる時が来ます」と答えた、と書かれています。人物の経歴は桜井眞一郎の面にまとめています。

同じ6気筒の出力を並べる

車エンジン最高出力出典
グロリア スーパー6(1964年式・競技仕様)G7 1,988cc104kW(142PS)/6,800rpm[6]
スカイラインGT(1964年・展示車)GR7B 1,988cc110kW(150PS)/6,800rpm[1]
スカイライン2000GT(1965年2月発売)解説に書かれていない125馬力[1]
グロリア スーパー6(1967年式)G7 1,988cc105PS/5,200rpm[4]

展示車の150PSは、G7をもとにウェーバーの3連キャブレターなどでレース用に改めたGR7Bの数字です。市販の2000GTについては、解説に「出場車と同じウェーバー3連キャブの125馬力仕様」とあり、同じキャブレターでも出力が違います[1]。グロリア競技仕様の142PSとスカイラインGTの150PS、市販の125馬力と、計り方や仕様の違いと考えられますが、資料に理由は書かれていません。

ホイールベースの引き算

展示車のホイールベースは2,590mmです。「200mm延ばした」という解説から単純に引き算すると、S50型のホイールベースは2,390mmとなります。この2,390mmはこのサイトの計算で、資料に直接書かれた数字ではありません[1]。

よくある質問

スカイラインGTはレースに勝ちましたか。
優勝はポルシェ904でした。スカイラインGTは2位から6位を占めました[1]。日産のスカイライン歴代ページは、ポルシェ904GTSを7周目のヘアピンで抜き去った、と書いています[3]。
なぜ100台作ったのですか。
解説は、100台を作り、レース直前の1964年5月1日に発売して出場資格を得た、と書いています。桜井のレジェンド04の逸話にも「ホモロゲーションが取れるだけの台数」という言葉が出てきます[1][5]。
展示車はだれの車と同じ仕様ですか。
2位に入った砂子義一選手の39号車です。当時の同型車両をベースにして同じ仕様にした車で、2012年に鈴鹿サーキット50周年に合わせて「日産名車再生クラブ」がフルレストアしています[1]。
レースが開かれたのはいつですか。
1964年5月3日です。日産のショートストーリーによれば、日本グランプリは1963年から毎年5月3日に開かれました(1965年は開催なし)[7]。
この面で確かめていないこと「羊の皮を着た狼」の言葉が当時いつ誰によって使われたかは、日産の資料で確かめていません。100台という数と、1964年5月1日の発売日は上の解説を出典にしたもので、当時の登録記録などでは確かめていません。ヘリテージコレクションの英語版のスカイラインGTのページは、確かめたとき本文が読めなかったため、日本語版のページを使いました。

出典

  1. 日産ヘリテージコレクション プリンス スカイラインGT(S54)(2026年11月7日に確認)
  2. 日産 企業情報 ヘリテージ 1960年代(2026年11月7日に確認)
  3. 日産 NISSAN HERITAGE COLLECTION online スカイライン歴代12代の軌跡(2026年11月7日に確認)
  4. 日産ヘリテージコレクション プリンス グロリア スーパー6(1967年・S41D)(2026年11月7日に確認)
  5. 日産 ヘリテージ レジェンド04 桜井眞一郎(2026年11月7日に確認)
  6. 日産ヘリテージコレクション プリンス グロリア スーパー6(1964年・S41D)(2026年11月7日に確認)
  7. 日産ヘリテージコレクション ショートストーリー 日本グランプリの歴史(英語版)(2026年11月7日に確認)