2代目 プリンス スカイライン(S50型)
レースに出たGTの、ベースになった車
2つの公式資料の違い
| 資料 | 書いてある時期 | 内容 |
|---|---|---|
| スカイライン歴代12代の軌跡(日産) | 1963年9月 | 2代目、S50型。1964年の第2回日本GPでスカイラインGTがポルシェ904GTSを抜き、「羊の皮を着た狼」の称号を得た、と書く[1] |
| 1960年代の年表(日産の企業情報) | 1963年11月 | 「プリンススカイライン S50型」を載せる[2] |
どちらも日産自動車の公式サイトです。「発表」と「発売」の月が違う可能性もありますが、どちらの資料もその区別を書いていません。このサイトは、1963年9月/1963年11月の2通りだけ書き、どちらかを選ぶことはしません。
S50とスカイラインGTの関係
スカイラインGT(S54A-1)の解説は、S50型の「スカイライン1500」のホイールベースを200mm延ばし、グロリア用の6気筒G7型を載せて作ったと述べます[3]。つまりS50は、レース用GTの元の車でした。同じ解説によれば、そのGTが1965年2月に「2000GT(S54B-2)」として市販され、以降のスカイラインを引っぱりました。くわしい流れはスカイラインGTとスカイライン2000GTの面をご覧ください。
カタログの資料
日産のヘリテージギャラリー一覧には、「プリンススカイライン1500 S50型」「プリンススカイライン S50系」の1960年代のカタログが載っています。「プリンススカイライン ALSI-2型」のカタログもあります[4]。ただし、ここには詳しい説明文がなく、諸元などの数字は確かめられません。
初代と2代目
| 世代 | 型式 | 発売 | 特徴(日産の歴代ページ) |
|---|---|---|---|
| 初代 | ALSI型 | 1957年4月 | クラス最高出力の60馬力・最高速125km/h、ド・ディオン・アクスル |
| 2代目 | S50型 | 1963年9月(年表は1963年11月) | 第2回日本GPでの活躍、2000GTの市販 |
| 3代目 | C10型 | 1968年7月 | 「愛のスカイライン」、愛称「ハコスカ」 |
3代目は合併後の日産の車です[1]。
資料ごとの呼び名を並べる
| 資料 | 書かれている呼び名・時期 |
|---|---|
| 日産のスカイライン歴代ページ | 2代目。1963年。1964年のスカイラインGT。翌1965年2月に「スカイライン2000GT」として市販[1] |
| 日産の1960年代の年表 | 1963年11月「プリンススカイライン S50型」。1965年2月「プリンススカイラインGT」[2] |
| ヘリテージコレクションのGTの解説 | スカイライン1500(S50型)。GTは「S54A-1型」、市販は「2000GT(S54B-2型)」[3] |
| 日産のレジェンド04 | 2代目スカイライン(S50)。GTは「GT-B(S54)」。期間は1963年〜1968年[5] |
| 日産のヘリテージギャラリー | 「プリンススカイライン1500 S50型」「プリンススカイライン S50系」のカタログ[4] |
S50は2代目全体の型式、S54は6気筒のGT系の型式で、1.5リッターのS50に6気筒のエンジンを載せたものがGTになった、という関係が読み取れます。ただし、S50に6気筒の型があったかどうかなど、型式の決まりは資料に書かれていません。
1963年の年表のなかで
日産の年表の1963年の項目を月順に並べると、次のとおりです[2]。
| 年月 | 年表に載る車・できごと |
|---|---|
| 1963年3月 | プリンスクリッパー(T631型) |
| 1963年8月 | 銀座に日産ギャラリーオープン |
| 1963年9月 | ダットサンブルーバード(410型) |
| 1963年10月 | プリンスライトコーチ(B632型) |
| 1963年11月 | プリンススカイライン(S50型) |
1963年9月の項目はブルーバードで、S50は1963年11月に載っています。歴代ページの「1963年9月」とは、この点で食い違っています。
日本グランプリとの順番
日産のショートストーリーによれば、第1回日本グランプリは1963年5月3日に鈴鹿サーキットで開かれました[6]。日産の年表は、これをきっかけにスポーツカーへの関心が高まったと書きます[2]。S50は、その年の1963年9月または1963年11月に出た車なので、第1回のあとの車です。そして翌1964年5月3日の第2回に、S50のホイールベースを延ばしたGTが出ました。
桜井眞一郎の言葉から
日産のヘリテージ「レジェンド04」によれば、桜井眞一郎は2代目の開発で、日本GPでの優勝を目標にしたマシンの開発チームの主任でした。また、1.5リッターのS50では、スプーンカーブの立ち上がりでライバルに離されると予想して、S50のシャシーを200mm延ばしたとあります[5]。人物は桜井眞一郎の面で整理しています。
よくある質問
S50型はプリンスの車ですか、日産の車ですか。
S50の寸法は分かりますか。
S50の実車を見られる場所は。
出典
- 日産 NISSAN HERITAGE COLLECTION online スカイライン歴代12代の軌跡(2026年11月7日に確認)
- 日産 企業情報 ヘリテージ 1960年代(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージコレクション プリンス スカイラインGT(S54)(2026年11月7日に確認)
- 日産 ヘリテージ ギャラリー一覧(2026年11月7日に確認)
- 日産 ヘリテージ レジェンド04 桜井眞一郎(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージコレクション ショートストーリー 日本グランプリの歴史(英語版)(2026年11月7日に確認)
- 日産ヘリテージコレクション プリンス系の車の一覧(英語版)(2026年11月7日に確認)