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プリンス自動車のレースの歩み

スカイラインGTからR380、そして2000GT-Rへ。年ごとの全体の流れ

要点プリンスのレースの中心は日本グランプリです。1964年の第2回ではスカイラインGTがポルシェ904に続く2位から6位を占め、グロリア スーパー6がクラスで優勝。1966年の第3回ではR380が総合優勝しました。合併後の日産は1968年にR381、1969年にR382で勝ち、同じ1969年にスカイライン2000GT-RがJAFグランプリでデビューウィンを飾っています[1][2][3][4]。

この面の使い方

この面は「全体の流れの入口」です。詳しい中身は、大会ごとの日本グランプリ、1964年のスカイラインGT、車そのもののR380、国際速度記録のR380の速度記録に分けました。ここでは年の順に、何があったかを表にして、それぞれの面へ案内します。順位や記録は、日産の公式資料にあるものだけを載せ、書かれていないことは「確かめていない」と書いてあります。

年ごとの表

年できごと詳しくは出典
1963年5月3日第1回日本グランプリが鈴鹿サーキットで開かれる。これをきっかけにスポーツカーへの関心が高まったと日産の年表にある。プリンスの車の出場は確かめていない日本グランプリ[1][5]
1964年5月3日第2回。GT-IIレースでポルシェ904が優勝、スカイラインGTが2位から6位。T-VIレースはグロリア スーパー6が優勝スカイラインGT・グロリア[2][6]
1965年2月スカイライン2000GT(S54B-2型)がカタログモデルとして発売2000GT[2]
1965年10月R380が茨城県谷田部で速度記録に挑戦(国内記録)。日本グランプリは1965年に開かれなかったR380の速度記録[7][1]
1966年5月第3回日本グランプリでR380(11号車・砂子義一)が総合優勝。合併前にプリンスが勝った最後のレースと解説にあるR380[3][8]
1966年8月プリンス自動車工業が日産自動車と合併日産との合併[5]
1967年日本グランプリでニッサンR380-II(10号車)が2位(高橋国光)。1967年10月8日、R380-IIが谷田部で世界記録R380の速度記録[8][9]
1968年日本グランプリでR381(北野元)が優勝。櫻井眞一郎が考案した可変リアウイング付き櫻井眞一郎[1][10]
1969年5月スカイライン2000GT-RがJAFグランプリでデビューウィン櫻井眞一郎[4]
1969年10月日本グランプリでR382(黒澤元治)が優勝日本グランプリ[1][5]

表の「1966年5月」の日付は、日産の年表と解説にある月です。日にちは、確かめた資料に書かれていません[5]。

流れを3つに分ける

1. 市販車をレースに合わせた時代(1963年〜1965年)

第1回の翌年、プリンスはスカイライン1500の車体を延ばしてグロリアの6気筒を載せたスカイラインGTを作り、100台を作って出場資格を得ました。ポルシェ904には負けましたが、スカイラインの歴代を紹介する日産のページでは、この車に「羊の皮を着た狼」という称号が与えられたと書かれています[2][11]。1965年2月には、125馬力の2000GTが発売されています。

2. レース専用車の時代(1965年〜1966年)

1965年にR380が谷田部で記録に挑み、1966年の第3回日本グランプリで優勝しました。日産の解説によれば、このレースはプリンスと日産の合併の前に、プリンスの車が勝った最後のレースです[3]。

3. 日産の車としての時代(1967年〜1969年)

合併のあとの車は、日産の表記では「ニッサン」の名前になります。1967年のR380-II、1968年のR381、1969年のR382が日本グランプリに出ました[8][1]。1969年2月には、R380のノウハウを市販車用に再設計した、量産車として世界初の4バルブDOHC機構のエンジンを積むスカイライン2000GT-R(PGC10型)が登場しました[4]。

2000GT-Rの勝ち星

日産のヘリテージコレクションは、2000GT-Rが発売から3か月後の1969年5月のJAFグランプリでデビューウィンを飾り、1972年3月に前人未踏の累計50勝を達成、同年10月のワークス活動休止までに通算52勝を挙げた、と書いています[4]。ただし、日産のほかのページでは50勝などの数字が別に載っている場合があり、数え方は資料ごとに違う可能性があります。ここでは、上のページの数字のとおりに書きます。この車の開発の経緯は櫻井眞一郎の面でも触れています。

姉妹サイトでさらに

GT-Rと日本グランプリのレースの話は、同じちんあなご編集部が運営する非公式のファンのサイト(姉妹サイト)に、より詳しい面があります。gtr.tokyo のR380の面とgtr.tokyo のレースの面です。どちらも日産自動車とは関係のない非公式のサイトです。

よくある質問

プリンスはいつ日本グランプリで優勝しましたか。
確かめた資料で優勝と書かれているのは、1964年のT-VIレースのグロリア スーパー6(クラス優勝)と、1966年のR380(総合優勝)です。1964年のGT-IIレースは、スカイラインGTが2位から6位でした[6][2][3]。
1965年に日本グランプリが無かったのはなぜですか。
R380の速度記録の解説は、第3回が1965年に予定されていたが1966年に延期された、と書いています。R380(A-II型)の解説は、中止になった1965年と書いています。延期と中止の書き方が違うことは、日本グランプリの面にも書きました[7][9]。
この面で確かめていないこと第1回(1963年)のプリンスの出場車と結果、1967年の優勝車、各レースの正確な日にち(1966年)、2000GT-Rの勝ち星の数え方(50勝と52勝など)は、確かめた公式の資料では確定できていません。ここに載せていないレース(国内の他の大会や海外)は、確かめていないので書いていません。

出典

  1. 日産ヘリテージコレクション ショートストーリー 日本グランプリの歴史(英語版)(2026年11月7日に確認)
  2. 日産ヘリテージコレクション プリンス スカイラインGT(S54)(2026年11月7日に確認)
  3. 日産ヘリテージコレクション プリンス R380(A-I型)(英語版)(2026年11月7日に確認)
  4. 日産ヘリテージコレクション スカイライン 2000GT-R(PGC10)(2026年11月7日に確認)
  5. 日産 企業情報 ヘリテージ 1960年代(2026年11月7日に確認)
  6. 日産ヘリテージコレクション プリンス グロリア スーパー6(1964年・S41D)(2026年11月7日に確認)
  7. 日産ヘリテージコレクション ショートストーリー R380の国際速度記録(英語版)(2026年11月7日に確認)
  8. 日産 ヘリテージ ギャラリー一覧(2026年11月7日に確認)
  9. 日産ヘリテージコレクション ニッサンR380(A-II型)(2026年11月7日に確認)
  10. 日産 ヘリテージ レジェンド04 桜井眞一郎(2026年11月7日に確認)
  11. 日産 NISSAN HERITAGE COLLECTION online スカイライン歴代12代の軌跡(2026年11月7日に確認)
非公式のファンのサイトです。日産自動車とは無関係です。ここでいう「プリンス」は、かつてスカイライン・グロリアを作ったプリンス自動車工業(1966年に日産自動車と合併)のことで、ホテルなど同じ名前のほかの会社や商品とは関係がありません。